ARENAの現代文ゼミ・高3現代文
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現代文ゼミ |
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「現代文」というものに所謂「一般」「受験」科目として向き合おうとした際、皆さんはまず何を考えるでしょうか。
大方の人は、別段対策を講じる必要性を積極的には感じないのではないかと思います(事実、担当の私が学生時そうでした)。せいぜい、漢字は書けた方が、語彙や四字熟語などの意味はなるべく知っていた方が良い。後は、母語である以上、大半の内容は読めば理解できる。実際、日常生活で他人と意思疎通を図る際、別段支障はないし……。そうした理解であると思います。
ですが、ここでひとつ念頭に置いておいて欲しい事は、我々は果たしてどれだけの事を“読み解けて”いるのかという事です。数年前にベストセラーとなった『AI vs. 教科書が読めない子供たち』(新井 紀子 著)の中で、既に現代文の入試問題では限定的であるにせよAIの方が正答率の高い事例が報告されています。時を経た現在、状況はより深化しているでしょう。選択肢が与えられているなどというある程度の条件下に応じては、人工知能の方が最適解を導き出せる可能性が高いという時代を私たちは生きています。
ですが、一方で私はこうも考えます。では、私たちが言葉を紡ぐという営為は果たして廃れるのかと。そもそも我々の人生には試験問題に代表されるような所与の選択肢しか与えられていないのかと。それは間違いなく否、です。
言語は、コミュニケーションの、ひいては人間性の根幹です。である以上、恐らく今後どれほどテクノロジーが隆盛を極めようと、我々が、読み、聞き、書き、喋り、その結果として誰か(何か)を理解しようと思う、されたいと願う気持ちは不変であるでしょう。
で、ある以上、様々な文章(それは異なる価値観や他者、ひいては世界とも換言できます)に触れ、そうした文章にご自身の感情を揺さぶられる体験を提供できる(反発でも構わないと思います。で、あれば何故反発心を抱いたのかと言語化する作業まで含め)、そうした場を、この機会を借りて設けられればと思います。
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高3現代文 |
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「現代文ゼミ」の説明文とほぼ内容は重複するので、端的に済ませますが、極力「記述」重視の内容に拘っていきます。なるべくそうした記述演習を早い段階で済ませ、後は、皆さんの志望校に合わせた実践問題演習に移って行こうというのが方針です。
ですが、皆さんも是非新たな課題文(思考)に触れた際に、そこで様々な思索を巡らす機会を設けてみて下さい。がこれまで学んだ膨大な知識と、新たに得た知見が掛け合わされた時、きっと皆さんの前には未知の世界(それは今後生きていくうえで恐らく非常に重大なものでしょう)が開けるのではないかと思います。
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